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重要文化財小袖の復元新調について

京都国立博物館 学芸部 企画・工芸室長   山川 暁

重要文化財 綾地締切蝶牡丹文片身替小袖

復元新調小袖
 

綾地締切蝶牡丹文片身替小袖(復元新調)

  重要文化財の「綾地締切蝶牡丹文片身替小袖」を復元新調したはずなのに、どこか印象が違うと感じた方も多いのではないでしょうか。それは、復元新調を始めるにあたって、小袖を現状のままに復元するのか、それとも寄進された当初の姿に戻して復元するのかが協議され、その結果、可能な範囲で桃山時代の当初の姿を復元する方針となったためです。それでは、現状と当初では、小袖のどこが違っているのでしょう。最大の違いは、寸法と色調です。

  まず寸法の問題について考えてみます。天正17年(1589)に寄進された重要文化財の小袖は、御神体の衣裳として長く使用され続けてきたために、幾度かの仕立て直しが行われています。それがはっきり分かるのが、袖の部分です。袖付け部分に注目すると、幅4㎝程度の裂が二筋足されています。さらに背面から見ると、左袖の肩山にかつての袂のまるみの跡が確認できます。このことから、使い続けるうちに、袖幅を広げたり、袖の左右や上下を入れ替えたり、その時々の事情に応じて改変したことが明らかです。

  それではなぜ、このような改変が行われたのでしょう。それはおそらく、江戸時代に入って、小袖の形に変化が生じ、身幅と袖幅をほぼ同寸法に仕立てることが常識となったためではないかと考えられます。室町時代から桃山時代に着用された小袖を初期小袖と呼び習わしていますが、現存する初期小袖を採寸すると、身幅に対して袖幅の寸法はほぼ半分になっています。このような寸法の小袖を着用すると、身幅はたっぷり広いのですが、帯を締めると袖が体に引き寄せられ、袖先から腕がかなりのぞく着姿になってしまいます。江戸時代になって袖幅が広がると、腕まで見える着姿が古めかしく感じられ、身幅を切り縮め、切った身幅を袖幅に加える改変が行われたのでしょう。

  復元にあたっては、現存する同時代の小袖の寸法に合わせて仕立てました。そのため、重要文化財の小袖よりも身幅が広く袖幅が狭い寸法となりました。

  次に色調の問題です。前近代の衣服には、植物などから色料を抽出する天然染料が用いられています。天然染料の多くは自然光に含まれる紫外線によって褪色が進むため、現代の私たちが目にするのは当初とは異なる色調です。

  そこで、縫い目の下など光に触れにくい場所の色調を色見本と照合し、照合した色に近い色調をいくつか選んで、経糸(たていと)と緯糸(よこいと))を試験的に染めてもらいました。織りによって文様をあらわす綾地ですから、経糸の色と緯糸の色を組み合わせてみなければ織物としての全体像は想像できません。そこで、それらを試織し、最適と思われる組み合わせを選びました。

  このように寸法や色調などの検討を経て、復元新調小袖は完成しました。桃山時代の芦刈山の姿に思いを馳せて頂ければ幸いです。